|
|
|
|
|
草野櫻子(バイラオーラ・踊り) かえるの詩人、故草野心平は祖父にあたる。9歳から小松原庸子に師事。17歳から舞踊団員となる。81年 渡西。エスパーニャ舞踊団に入団し各地で公演。82年 帰国後、フリーになる。88年 草野櫻子フラメンコ舞踊アカデミアを開設。92年 7年間にわたり、アドリアン・ガリアと舞台創りをはじめる。95年 東新宿にスタジオ・タルテッソスを設立。98年 音楽舞踊界の登竜門、村松賞を受賞。05年 東新宿から麻布台にスタジオ移転。11年 メキシコ(ケレタロ) 国際ダンスフェスティバルに日本人初の参加。 |
|
|
鈴木能律子(バイラオーラ・踊り) 7歳よりモダンダンスを始め、1987年よりフラメンコを始める。91年プロデビュー。92年日本フラメンコ協会第2回新人公演にて奨励賞受賞。翌年初リサイタル及び「スタジオ・ベレン」設立、主宰。スペインを代表する一流アーティストのハビエル・ラトーレ、パコ・ハラーナ、ペペ・マジャ・マローテ、イサアク・デ・ロス・ロジェス、ピノ・ロサーダ、サルバ・バロールなを招聘して、新国立劇場をはじめ各劇場で数々のリサイタルを開催。なかでも世界初となるフラメンコとメタル音楽との踊りからのアプローチ「ドラマチック・ゴシック・メタル・フラメンコ」は全日そーるどアウトとなり大好評を博し、再演を果たす。現在、自身の研鑽のため定期的に渡西を行いながら、後進の指導にあたる傍ら、ライブ活動や公演にて活躍している。「踊る女優」の異名をとる。その空気を一変させるドラマティックな表現力と踊りは観客の深い感情を揺さぶるとの定評がある。 |
|
|
高野美智子(バイラオーラ・踊り) 東京外国語大学スペイン語学科卒。在学中フラメンコに出会い小島章司に師事。氏の舞踊団で第一舞踊手、ダンスミストレスとして活躍。1991年第一回新人公演で奨励賞受賞。1995年フラメンコ界初の文化庁の在外研修員として二年間渡西。ラファエラ・カラスコ、ラ・チナ等に師事。帰国後、「ONNA」シリーズ、「静-SHIZUKA-」等リサイタルを定期的に行う。2005年愛知万博閉会記念コンサート、2006年「美の巨人」記念コンサート、2011年東京文化会館50周年記念オペラ「古事記」等にて振付・出演。オーケストラをはじめとしてフラメンコの枠を超えた活動を行っている。2014年河上鈴子スペイン舞踊賞受賞 |
|
|
佐藤美由紀(バイラオーラ・踊り) 山形県出身。フラメンコの強烈な存在感とエネルギーに魅せられて東京に上京し、フラメンコを始める。名門JPカルロスアカデミアにて、アドリアン・ガリア、ラ・チナ、ラ・タティ、カルメン・トーレス、ベレン・マジャなど数多くの世界で著名なスペイン人アーティストに師事する。フラメンコのリズムを原田和彦氏に、踊りを草野櫻子氏に師事。各地公演や東京都内のタブラオに出演し、本番の経験を積む。 |
|
|
チェマ(カンタオール・唄) Jose el “ Nino Cagao” アンダルシアのカディス生まれ。小さい頃からロマの血筋を継ぐ母の歌声に導かれ、フラメンコの世界に入る。12歳の頃からカディスのカーニバルで歌い始め、16歳の時にクアドロフラメンコに入り、スペインのあらゆるフラメンコフェスティバルを周る。22歳の時勉強していた合気道の修行の為に来日。日本にいながらKarime Amaya, AdrianGalia や Lola de Cai 等に歌い、そして素晴らしき日本の踊り手たちのカンテをつとめる事を大変光栄におもっている。 |
|
|
笛田剛史(カンタオール・唄) 群馬県前橋市出身2009年8月、フラメンコを始めるため渡西。同年9月より約一年間エスペランサ・フェルナンデスに師事しカンテ・フラメンコを学ぶ。ファナ・アマジャ、パキ・デル・リオのクラスでバイレ伴唱、トロンボのクラスでフラメンコ哲学を学ぶ。2012年4月から3ヶ月、再び渡西。クーロ・フェルナンデス、マリア・マルケスらに師事。「神保町オーレオーレ」毎月第四火曜日、「神楽坂オー・シャンゼリゼ」毎月第三木曜日出演中。 |
|
|
三木重人(ヴァイオリン) 神戸出身。幼少より音楽、バイオリンに親しむ。ベーシストとしてバンド活動を始めるがバイオリンに再転向。1997年フラメンコと出会い、踊りの伴奏に傾倒。多く渡西を繰り返しつつ研鑽を積む。確立されたそのスタイルは高いフラメンコ性と音楽性に裏付けられ、日本人のみならずスペイン人アーティストからも高い評価を受けている。東京を中心に全国のフラメンコのステージで活動する、希少なフラメンコのバイオリニスト。 |
|
|
原田和彦(フラメンコギター) 東京生まれ 79年フラメンコギターを始める。84年に渡西し、ベンハミン・アビチュエラ、マリオ・コルテスに師事。帰国後各地の公演、ライブハウスなどに出演。以後3年に1度のペースで渡西し、ディエゴ・ロサーダに師事。多くのアーティストの伴奏を務める。94年原田和彦ギターアカデミアを開設。95年東新宿にスタジオ・タルテッソス設立。00年有限会社ジェイ・ピー・カルロス設立。05年東新宿から麻布台にスタジオ移転(エストゥディオ・ソル)。スペイン人アーティストと舞踊教則ビデオを製作する。 独自の音楽性と日本人にはないフラメンコのリズムを持ったギタリストとして音楽監督、作曲なども務める。現在は、教授活動も積極的に行い、多くの若手ギタリストを輩出している。また、フラメンコのコンパスの秘密を追及、解明し、フラメンコメトロノーム「MRC1 EQUIPO HARADA」を商品化。 |